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大衆性を持った魔法

 私は、魔法と科学の違いの一つとして、再現性を重視するかどうかによる、大衆性があり、魔法と科学が併存した場合、その点において科学がリードするのではないかと思っている。
 例えば、とある人が土から酒を造り出す方法を見つけたとする。科学の場合、その人が行ったのと同じ方法を使えば、同じように土から酒が造り出せる。もし完璧に同じ方法を行ったのに酒を造れなければ、その発見者が間違っているということになる。これが再現性を重視するということだ。再現出来ねば、ダメなのだ。
 しかし、魔法の場合は、そうならない。土から酒を造る魔法を使える人から、方法を聞いて同じ魔法を使った人がいるとする。その人が同じ魔法を使えなかった場合、間違っているのは、方法を聞いて魔法を使おうとしたその人である。発見者ではない。あくまで、その人の修行が足りなかったり、才能がなかったことが悪いのであって、発見者は悪くないのだ。
 科学で力を持っているのは、理論・仕組みである。しかし、魔法で力を持っているのは、その魔法を使う人、本人である。このことにより、科学は「私たちの技術」になるが、魔法は「私の技術」にしかならない。そこが科学の優れた点だ。

 
 しかし。DK2世界においては、精霊魔法は冒険者であれば誰でも使えるのだ。DK3世界においても、SP2ぐらい払えば初級魔法は使える。結構大衆性持ってる。
 それでも、上位高レベル域の魔法については、かなりの修行を積んだものでないと使えない。しかし、科学においても高額な設備がないと最新技術を使えないという問題はある。人か金か、である。

 そうなると、科学文明で作った私たちの世界に似た世界を魔法でも作れるのだろうか。

 魔法が科学と異なっている点は、まだある。エネルギーの出所である。
 科学は、特に今我々が使っている科学技術は基本的に石油などの物資を消費することで、エネルギーを得、それによって様々なものを動かしている。
 一方、魔法は、魔界の王だとか精霊だとかに力を借りたりもするが、基本的には自分の精神力、MPを使って様々なことを行う。
 科学ならば、燃料入れたあとは機械に任せて適度に休んだりしておけばいいが、魔法の場合は自分の精神力を減らしていかないといけないのだ。

 つまり、科学と同じような文明を作ろうとすると、魔法使い達がかなり頑張らなければならないのだ。
 魔法の都ライカでは、日々人々の快適な暮らしを作るために魔法使い達がMPポーションを飲みながらバリバリ働いているに違いない。栄養ドリンク飲みながら頑張るビジネスマンみたいなもんである。
 快適な町の暮らしに触れたときは、その裏で働いている数々の魔法使い達に感謝をせねばなるまい。
by akuda | 2005-03-25 23:39 | 雑記
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